人はなるべきところに収まっていくもので、それに対して現状の不満とかを訴えるとか感じてしまうのもまあよくあることだとは思っていて、それはもう生きている以上は仕方のないことなんだけども、それを「何者にもなれなかった故の」とか「本来なら出生に向けられる生産性がないから」とか「真面目でなかったから狂ってしまった」とか外からやいのやいの言うのは、全て違うだろお前、としかならないですね。
なんというか、世の中全体的に「答え」をろくすっぽも調べもせずに簡単に得ようとしていることが多すぎて、それがそういう簡潔な答えを勝手に考えるバカが増える原因なのかな、とかは思います。
まずは自分の身の程を弁えて、その中で自由にやってみるとか、他者はどうあってもコントロール出来ない物だと考えるところからスタートしてみては?とか思ったりもしますね。
その辺って結局自分の中の許容範囲を広げて物を見ることが必要ではあって、でも、その広がった許容範囲で受け入れられる知識量や見識量の大きさも広がっていく物なので。
ある程度は「狂い」であったり「弱さ」であったりをしっかりと受け入れていって、他者にも自分にもそれがある、ということを認識していければなあ、とかは思ったりします。
40手前のおじさんの戯れ言。