このところのトピックを三つほど。
・感染症陽性おじさん
前のエントリにも書いたけれど、感染症に見事に罹ってしまいまして。
予防接種してたからだろうけれど、症状としては喉がやったらに痛ぇな、ってのと、気道が全体に詰まった感じがして呼吸すんのがしんどいな、ってくらいでは済んだかな。
これで予防接種出来てない人が罹ってたと考えたらやっぱり「ただの風邪」じゃないし、これらの症状が治まった後にもやっぱり気道が詰まってるというか、ちょっとした、ほんとに軽めの運動しただけで息苦しくなるのは今もまだ続いてるし、あと陽性から陰性に変わった直後くらいは何やっても酷い下痢の状態が続いてたりしてたかな。
重ね重ね言うけれど、やっぱり「ただの風邪」ではない。
だから通勤の電車やバスではみんなマスクして……。
・こんなものを買ったよ。
まー、大して高い時計ではないのだけれども、それでも普段の給与水準だとちょっと買うのには躊躇する金額の物ではありますね。だから(少ないながらも)、賞与が出るまで買う勇気が出なかった。
それまで使ってたゴムバンドの時計が切れたり電池入れ替えても動かなくなったりした時に気になってインターネットで調べてから「あっ、これ」って思って。
そこからずっと気になってて、ついに買ってしまったのだけれども、実際に触ったり目に見たりすると、文字盤もの凄く見やすいし、あとキャプションにも書いてるけれど、色合いが思ってた以上に落ち着いてた感じ。
これから大事に使いたいですね。
・思ったことの書き殴りというか。
誰とは言わないけれども「生まれない権利」っていう言葉を世に出すのはどうなのよ、って。
これは少なくとも人の親になったことのある人が言う言葉ではないし、その文言を自分の子供や子供のような作品に影響受けた人からそれを言われればどう思う?ってお話で。
そういう言葉一つとっても何かを生む、作り出すということに対してあまりにも無責任としか言いようのない言葉だし、それを言ってしまうのであるのならば、もう物を作っている仕事です、と名乗るべきではないよね。
彼に関しては少なくともそれ相応の矜恃は腐っていても持ってはいるんだろうな、とは思ってはいたから、それをも否定する、最早物を作る仕事や人と関わる仕事をしているのならばあり得ない発想を言語空間に吐き出す、ということが本気で信じられないという感覚で、まあそういうことを言うのならば、もう大上段から物を語らないでほしい、というところですね。
自分に対しての自虐で「生まれない権利」ともし言ったのならば、ハッキリと言ってそれは「他人様の前で胸を張って生きている権利がない」と言っているのと一緒なので。
重ね重ねになるけれど、少なくとも人に対して何かを伝える、人の親である、そういう人間が言っていい言葉ではない。
言葉の重みをもっと知ってほしい。